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カテゴリ:北京とワタシ  

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北京游記 5日目  

2007年 08月 18日

明城墻遺跡公園→帰国

 朝5時に目覚ましをセットしたにもかかわらず、起きたのは7時。
 東交民巷と明城墻遺跡公園を散策するつもりだったのに・・・
 きっと昨夜中央電視台で放映していた「中国とオリンピックの関わり」みたいな番組を、最後まで見たから。
 今となっては、内容はうろ覚えだが、たった1つだけココロに残ったことがある。
 中国にとって戦争を介在した日本との関わりは、ワタシが思っている以上に歴史の中に大きな位置を占めているらしいということ。
 「中国にとって」というべきか、「中国共産党にとって」というべきか、それははっきりと分からないが。

 そもそも明城墻遺跡公園という存在を知ったのは、14日、天津からホテルに向かう途中で巨大な壁を見かけたから。
 崇文門東大街に沿った細長い公園。
 ミニ九龍壁も見かけた。おそらくレプリカ。
 これがかつて北京を囲んだ城壁だったのだろうと思っていたら、前日、ホテル近くを散策しているときに、道路案内標識の「明城墻遺跡公園」というプレートを見て確信した。
 明城墻遺跡公園は、地下鉄の崇文門駅を降りて東側へ歩いてすぐのところにある。

 北京には、崇文門の他、天安門、東直門、西直門といった「○○門」という地名がある。
 それらは概ね(例外もある)城壁の出入り口、つまり城壁に存在した門の名前。
 かつて北京が「北京城」であった頃、第1の城壁が紫禁城(中華民国以後、皇帝が廃されてからは「故宮」)を囲み、それを第2の城壁が囲んで「皇城」、その皇城を第3の城壁が囲んで「内城」といった。
 さらに内城の隣南側に「外城」という、別に城壁で囲まれた地域があった。
 紫禁城を囲む城壁には4つの門、
 皇城を囲む城壁には最初は4つ、民国時代に1つの門が開かれ、全部で5つの門、
 内城を囲む城壁には9つの門、
 外城を囲む城壁には7つの門があった。

 かつて内城と外城と呼ばれたところは、まるで1本の線が引かれたみたいに様相が違う。
 ワタシが感じるのは、かつて内城だったところは、胡同や歴史的建造物など「外国人が好む北京」が存在し、外城は清代末期に奮起した場所が多く残っているように、「現在の北京」とでもいうのか、大通りをひとつ渡っただけで雰囲気が違う。
 聞くところによれば、そのような都市計画の下に進行したのだとか。
 しかしそれが、かつての内城と外城の違いであったのかもしれない。

 中国語で「都市」のことを「城市」というが、中山時子編『老舎事典』(大修館書店 1988年 P4)にその所以について書かれたところがあるので引用する。
 日本語の「城」と中国語の「城」の意味が違っておもしろい。

 中国では古来、都市が“城墻”(城壁)で囲まれることによって形成されていた。中国語で都市のことを“城市”という所以である。
 この場合の“城”とは、castle(城)ではなく、wall(壁、塀)の意味である。したがって、中国語で“○○城”というと、すべてそのwallそのものと、それによって囲まれる空間との二つの意味がある。


 前置きが長くなりました・・・本文にはいりませう。

 明城墻遺跡公園は東西1.5k/mに細長い公園。

 朝7時半頃の公園は、散歩している人が主で、あまり人はいない。
 崇文門東大街に沿っていることもあって、静かな場所とは言い難い。
 が、とってもと~っても緑が青々としたきれいな場所。

 そしてかの城壁ですが、

 見難いけど、これが唯一人間と城壁が一緒に写っている写真。
 その巨大な高さが分かるカナ?


 城壁の厚み。相当な厚み。
 これを建設することも、取り壊すも、並大抵じゃなかったはず。

 公園の入り口にあった崇文門の歴史。


 以下拙訳。

 崇文門は明代の正統元年(1436年)に建立され、最初の名を「文明門」、俗称「哈徳門(こうとくもん)」、「海岱門(はいたいもん)」といった。正統4年(1439年)現在の名前に改められ、「崇文」という名前になってから既に560年以上になる。明代の成化21年(1485年)に京城の有名な税関を立ち上げ、明代の弘治6年(1493年)に「令崇文門課司商税」の規定を頒布し、これよりのち、「都の者は皆税金が割り当てられ、崇文を統一する一行政単位」の地位を確立した。民国19年(1930年)に税関が廃止されるまで、400年あまり続いた。20世紀60年代に崇文門は取り壊された。

 明・清代の崇文門には、税務署なる税関があり、城門を通り抜ける人たちや北京の人たちから税を徴収していたところらしい。

 この説明碑の隣には、明城墻遺跡公園を整備する経緯を記した碑がある。
 多くの民家や店舗が所狭しと並び、環境は劣悪。それを1年半かかって整備した云々といったことが書かれている。
 多くの人たちが立ち退きにあったそうだ。
 青々とした緑の中、何となく悲しみを覚えた。
 かつては治安と防御のために存在し、その必要性を失ったと考えて取り壊され、そして再び観光として整備される。
 こうした城壁の保存は意義あることと思うが、翻弄されるのはいつも一般民衆なんだな、と思って。

by mingming8 | 2007-08-18 23:59 | 北京とワタシ

北京游記 4日目  

2007年 08月 17日

 雍和宮
  ↓
 杭州小吃@南鑼鼓巷
 文宇奶酪@南鑼鼓巷
  ↓
 王府井
  ↓
 X氏対面
  ↓
 西単
  ↓
 新世界商場などホテルの近くを散歩



 文宇奶酪@南鑼鼓巷49号は、宮廷ヨーグルトとしてネットで評判のお店。

 ワタシはプレーンな奶酪(5元・左側白い方)、同学は蛋黄奶酪(5元・右側黄色い方)。
 ヨーグルトというよりはプリン。
 今まで食べたことのないおいしさっ!
 北京に来たら、これは絶対食べなければいけない。

 ちなみに、現地中国人と思われる男性2人組と男性1人は、みんな2つずつ食べていた。
 サクッと食べて、サクッと帰る。
 ここではサクサクッとが当たり前で、お店に長居してはいけない(たぶん)。
 おそらく、アナタが食べている間、他の人が席を空くのを待っています。
 それほどにおいしいっ!

Pick up<雍和宮>

 雍和宮は、英語案内は「lama temple」。
 北京で最も大きく、最も古いチベット仏教(俗称:ラマ教)のお寺。
 広かった。

 消火器だって並みの大きさじゃないんだよ。

 ちなみにダライラマは、チベット仏教のゲルク派(黄教)。
 チベット仏教の中で最も大きな勢力があり、比較的戒律が厳しい一派。

 殿の名を表す表記には、

 満州語、中国語、モンゴル語、チベット語が用いられているということだが、中国語以外が分からない・・・


 お参りするときは、手のひらを自分のほうに向けて、「頂く」という感じの姿勢。


 お線香1本1本には、お経らしきものが書かれている。

 ちなみに、お線香の長さと直径には規定がある。

 長さ:400mm以下、誤差2%
 直径:5mm以下、誤差10%

 お線香は3本を1セット。なぜなら、

 頂礼佛、法、僧三支香为宜
 仏、法(経典?)、僧、3本の線香に頂礼(ちょうらい)すること。
 頂礼(ちょうらい):五体投地のこと。
 五体投地(ごたいとうち):両膝・両肘・額を地につけて、尊者・仏像などを拝すること。最高の礼法。
  (『広辞苑 第五版』岩波書店)

 同学によると、「雍和宮には歓喜仏という大変珍しい合体の仏像があって、それも、布が不自然にかけてあるらしい」ということで、探す。
 そして、コレじゃないか、とはっきり分かるぐらい不自然な布がかけてある4体を見つけた。
 その不自然な布のため、全体象が分からないので、堂守に銀貨1枚を払って実際に見た、という芥川龍之介の筆を借ります。

 芥川龍之介著『支那游記』「北京日記抄」
  (『芥川龍之介全集8』ちくま文庫 筑摩書房 1989年 P205)
 第六所東配殿に木彫りの歓喜仏四体あり。(中略)仏は皆藍面赤髪(らんめんせきはつ)、背中に何本も手を生やし、無数の人頭を頸飾にしたる醜悪無双の怪物なり。歓喜仏第一号は人間の皮をかけたる馬に跨り、炎口(えんく)に小人を啣(くわ)うるもの、第二号は象頭人身の女を足の下に踏まえたるもの、第三号は立って女を婬(いん)するもの。第四号は――最も敬服したるは第四号なり。第四号は牛の背上に立ち、そのまた牛は僭越(せんえつ)にも仰臥せる女を婬(いん)しつつあり。(中略)されどこれらの歓喜仏は少しもエロティックな感じを与えず、只何か残酷なる好奇心の満足を与うるのみ。(後略)

 そこが東配殿だったかは定かではないが、確かに何本もの手があったり、1つのものに対して2体あるのではないかとうかがわせるものだった。
 あれがまさしく歓喜仏だったに違いない。
 (殿中は撮影禁止のため、写真はない。)
 
 なぜ歓喜仏というものが存在するか。
 竹中憲一著『北京歴史散歩』(竹内書店 2002年 P290)によれば、
 ラマ教の歴史は七世紀ごろまでさかのぼる。インドよりチベットに伝わった仏教の一派シバ密教とチベット在来の鬼神崇拝のボン教が相互に影響しあって生まれたのがラマ教といわれている。ラマ教は守護神として鬼神羅漢(きしんらかん)と歓喜仏を祭るのは、その起源に由来するものである。

 こんなきちんとした由来があるなら、布をかけることはないと思うが、それは道徳的配慮というところなのかしら・・・

 そして、

 1回まわすと1回お経を読んだことになるという、マニ車。
 ちゃっかり8回まわしてきました(笑)ラマ教徒ではないけど。

<おまけ>
 この日は北京オリンピックまで、あと357日@复兴门站(復興門駅)

 同学が北京オリンピックグッズ店で見つけ、あまりのかわいさにワタシも買った小さなカップの絵は、この写真の周囲にある5キャラクターが競技をしているモノです。
 やっぱり全種類買うべきだったワ。

by mingming8 | 2007-08-17 23:59 | 北京とワタシ

北京游記 3日目  

2007年 08月 16日

 西海・后海・前海を散歩
   ↓
 白大成鬃人家庭芸術館
   ↓
 前海から景山公園、故宮博物館に沿って散歩
   ↓
 老舎記念館
   ↓
 王府井で本やDVDなどを買う

 夜は北京ダック@北京大董烤鸭店、そしてカラオケへ



 后海の蓮の花。
 自然のピンク色って、こんなに上品な色だったんだなぁ。


Pick up<白大成鬃人家庭芸術館>

 本や映画の中で出会い、ずっとその現物を観たいと思っていた泥人形や影絵。
 白大成さんがご自宅(西城区东官房胡同1号)で開いている家庭芸術館で、やっと会うことができました。
 そして、その緻密な細工と色合い、写真では表せないおもしろさに圧倒され、否、圧倒されたというより、写真を撮ることをすっかり忘れてしまう夢のような1時間半でした。

 鬃人職人の白大成さんについては、このページで知りました。
 写真がこのページに載っているので、それを見ながらワタシのブログを読んでくれたら、分かりやすいと思います。
 鬃人は日本語で何と読めばいいのかな?
 ソウジン、ソウニン、う~ん・・・北京の芸術なので、ソウジンかな。
 ちなみに英語は、「BRISTLE FIGURES」(剛毛人形)と表記されています。

 鬃人とは何か。

 白さんからもらったパンフレットより一部抜粋します。
 パンフレットは繁体字中国語、下に日本語の拙訳を付けました。
 尚、「鬃毛」は豚の剛毛を使用しているそうです。

 鬃人是北京獨有的一項民間手工藝品、出現于清代末期、至今已有一百多年歷史、是受京劇及皮影戲的影響而產生的。它集臉譜及戲劇服裝于一身、最能展現京劇舞臺人物特點、因在人物底部粘有一圈鬃毛、古名『鬃人』、將其置于銅盤中、擊打盤邊、在鬃毛震動作用下、人物便開始有規律的轉動、猶如京劇舞臺上的種種表演場面、活靈活現、所以鬃人藝術被稱為:『盤中戲』。


 鬃人は北京だけの民間手工芸品である。
 清代末期に出現し、現在に至るまで100年あまりの歴史を持ち、京劇や皮影戯の影響を受け生まれた。
 鬃人は隈取り(くまどり)をほどこして戯劇服に身をつつむというように、京劇の舞台人物の特徴を的確に表現し、人物の底部に鬃毛を貼り付ける。
 それゆえに、名を「鬃人」という。
 銅盤に置いて盤のふちをたたくと、鬃毛にその振動が伝わり、人物はしだいに動き出し、それはまるで京劇の舞台上の様々な場面を演じているかのように、活き活きとしている。
 そのため、鬃人芸術は「盤中戯」と称されている。

 臉譜・・・顔の隈取り(くまどり)。
      京劇の化粧法で、役柄の特徴を彩色で表現する方法。
      例えば、忠臣の代表とされる『三国志』の関羽のように
     顔を真っ赤に塗った人物は、忠誠心と血気の多い性格を
     表現している。

 白さんは鬃人の職人ですが、長年かけて収集した皮影(動物の皮で作った影絵)や面人(小麦粉を使用した人形)、泥人形、せみの抜け殻を使用した工芸品なども展示してあります。
 皮影は、映画『活きる』で観て想像していたものより大きく、年代ものなのに色がしっとりときれいでした。

 白大成さんは老舎に似ているなぁと思っていたら、老舎と同じ満州族でした。
 白さんの収集したものを通して、老舎の作品背景を少し垣間見た気がします。

 白さんは1つ1つの作品や収集品について、自ら説明してくれます。
 ただし、中国語です。
 でも、白さんを紹介した北京で発行されている日本語雑誌を見せてくれるので、それらについて理解することができます。
 後は筆談ですね。

 見学料ですが、先に紹介したページでは、「チケットは一応20元とありますが、事前に電話予約して行ったら無料でいれてくれました」ということですが、白さんは「一般人はお金は要らない」とおっしゃってみえました。
 ワタシが「素敵なモノを見せてもらったので、お金を払いたい」と言っても、受け取ってもらえませんでした。
 
 訪問するときは、事前に電話して行くのが好いです。ご自宅の一部なので。
 ワタシは門を叩いても応答がなかったので、門の前で電話しました。
 ご在宅で運がよかったと思います。
 中国語で電話ができないって?
 大丈夫。ワタシがレクチャーします。かなりあやしい中国語ですが(笑)


Pick up<老舎記念館>

 そして恒例の老舎記念館へ。
 今回南下するはずが北京へと北上したのは、同学の「夏の北京は街路樹が青々としていて・・・」というセリフにマイってしまったから。
 そのセリフを聞いて以来、老舎の柿の木はどれぐらい青々とした葉になっているんだろう、と頭を離れなかったから。

 やっぱり4月より葉がいっぱいついていて、心なしか実らしきものもあった!

 でもなんだか雑然としていた。ナゼだろう・・・
 どんどん観光地化しているような気がしないでもない。
 いや観光地の1つなんだけど、胡同にひっそりとあるのが、老舎らしいと思うの。

 そしてこの日は、中学生がボランティアで付き添って説明なぞをしてくれた。
 でもワタシここは3回目だし、中国語は聞くより読むほうが理解できるし、何より、老舎の庭に座って作品を思い返すのが好きなんだよね。
 それに彼、『四世同堂』を読んだことがないとのこと。
 う~ん・・・それはどうなんでしょうか・・・まぁ『四世同堂』はかなりの長編なので・・・ということにしておきましょう。
 ワタシも2回挫折して、3回目で読破したし。

<おまけ>

 西海から后海への途中で見かけた街灯。
 (右側:街灯、左側:本物の鳥かご)
 黄色の部分は鳥かごを表現しているのね。北京らしい街灯。

 ナゼ黄色かといえば、それはやっぱり黄帝の子孫だからだよね。

by mingming8 | 2007-08-16 23:59 | 北京とワタシ

北京游記 2日目  

2007年 08月 15日

川底下村→南鑼鼓巷

Pick up<川底下村>

 朝5時40分に起きて向かった先は、地下鉄1号線・苹果園駅から路線バス・929支路バスで2時間半の北京市郊外にある村、川底下村。

 青空がとってもきれいな所。
 手前はとうもろこし畑。
 青々として美しかった。

 ここは清代の四合院が残っているところで、
 2001年、「川底下古民居村落」として北京市文物保護単位に、
 2006年、「爨底下村古建築群」として全国重点文物保護単位になっています。

 展望台から望む、村の全風景。

 ナゼ、前者が「川底下」で、後者が「爨底下」かと言えば、現在は「川底下」という名称ですが、昔は「爨底下」という名前だったそうです。
 聞くところによれば、「爨」は画数が多いので、似た発音の「川」に変更させられたとか。
 ちなみに、両者の発音は、
 *川・・・chuan 1声
 *爨・・・cuan 4声
 ワタシの推測ですが、「爨」と同じ発音の文字はあるが、それらは「奪う」と言った意味を指すものばかりでよい意味でないので、検討を重ねた結果、「川」になったと思われます。あくまでワタシの推測。

 こういう石碑があるあたり、村の人が「爨」に誇りを持っているのは確か。
 村の名前を「爨底下」と言っていたし。

 建物にさりげなく意匠が施され、とてもステキだった。優雅。


 事前情報で、猫や犬のための入り口があると聞いていたが、コレかな?

 この大きさだと、犬は難しいかも。

 今も使われているのかな?大きな石臼。2人がかりでやっと動かせる大きさ。


 この小さな村にも文革や戦争があったの。

 でも今のワタシには、この文革奮闘の文字は手前の崩れた壁を含めて、この景色そのものがアートに見えた。
 こんな風に言えるなんて、シアワセだなって実感した。

 この村では大体どの家でも食堂と宿泊所になっている。
 ワタシたちは、農作物を生活の糧として得ていたこの村が存続して行くために、観光地として認定されるように奮闘した、当時の村長さんの家でお昼ゴハンをした。
 ゴハンは、村民が普段食べているもの。


 北京市中心部で食べるものとは違うおいしさがあった。

 ここに別荘が欲しい。

 ☆===☆===☆===☆===☆===

 今回とてもお世話になったのが、この旅行ブログ
 偶然にも同じページをプリントアウトしてきた同学と、「どうせブログを書くなら、こんなふうに誰かの有益になることを書かなきゃ!」という話題に上ったので、ワタシも何か有益なことを書きたいのだが、ワタシから言えることは、「とにかくこのページ、特に地図をプリントアウトして持って行け!」ということぐらい。
 なぜなら、バス停の位置は苹果園駅から徒歩3~5分ぐらいの場所だが、駅から離れているので、初めてでは探すのがむつかしいから。
 ワタシから発信できることは、崇文門から苹果園駅までは、地下鉄で約40分ということぐらいか・・・
 これは北京地下鉄のホームページで、おおよその時間を調べることができます。

 帰り?
 川底下村の往復のバスは1日2便なので、バスの時間まで待てないという方は、川底下村から齋堂までタクシーで行き、齋堂から苹果園駅までバス、という方法があります。
 川底下村のバス停あたりでグッタリしていると、村民が声をかけてくれて、タクシーを呼んでくれます。
 齋堂から苹果園駅へのバスは、30分に1本あるとか。
 ちなみにワタシ達は、川底下村から齋堂までタクシー20元で行き、空の車で帰りたくなかったらしい運転手が執拗に声をかけてきたので、同学が交渉して2人で40元で帰ってきました。
 通常は100元なので、降りるとき、運転手に「次回は100元で」と言われたが(笑)。
 距離を考えるとあまりにも申し訳なかったと思うので、次回他の景点地区に行くことがあれば、
彼に電話して今回の借りを返そうかナ。
 あっ、ワタシの代わりに返してくれる人がいれば、是非連絡してね。
 彼に「2人で40元で乗った日本人が借りを返す」と伝えて、100元でお願いします!

by mingming8 | 2007-08-15 23:59 | 北京とワタシ

北京游記 1日目  

2007年 08月 14日

入国→女人街でネイル

 今回の北京は、天津より陸路入り。
 天津空港は小さいとは聞いていたが、本当に小さい!
 今まで使用した国際線がある空港で、最も小さかった。
 飛行機を降りて最初の自己申告の健康診断書を提出するところまで、徒歩2分もかかっていない。
 そこからイミグレもターンテーブルも全て見通せる。
 到着ロビーもとても小さい。駅の待合室並み。
 あっけないほどの入国のため、外国に来た気がしなかった。

 ホテルにチェック・イン後、同学と合流して女人街にネイルへ。

 ワタシの海外でのネイル経験は、バリ島と上海。
 4年前の上海で、上海人が経営するネイルは、アートはできなくてフレンチしかできなかった。
 それも、フレンチの部分はカラーが選べなくて、「いかにもフレンチ」だった。
 そのフレンチ部分をラメ入りのバラカラーでしてくれたら・・・オシャレだったのに・・・
 というわけで、ワタシは全く期待をしていなかった。
 さらに追い討ちをかけるように、女人街というのが、どうみても雑居ビルという感じで凹む。

 ネイルサロン(サロンと呼ぶにはどうかとも思うが)は、ざっと見て5、6軒ぐらいあって、たぶん最後の1軒というところで、お店のオンナノコの呼び込みに負けて、ワタシと同学のツメを天命にかけた。(←大げさ ^o^ )

 ワタシのネイルをしてくれたのは、呼び込みをした四川省出身の彼女。
 日本でいう中学校を卒業して北京に来た、若干15歳。
 ネイル技術はオーナーから学んだそうだ。
 彼女が見せてくれたサンプルチップは、上海の時とは格段に差のあるネイルアート。
 彼女がしきりに勧めるアートは、どうやら彼女がデザインして、雑誌の表紙に載ったもの、それも結構大きく表紙に載っていた。

 バラ柄。
 地のネイルは、ワタシが選んだもの。
 想像以上にヨイ上がり☆
 凹みが一掃されたワ☆

 彼女は本当に商売がうまい。
 この先、ヨイ意味で、ただのネイリストで終わることはないだろう。
 営業力がある。
 試しに小指にツメ磨きをかけて「これをするとネイルの持ちがいい」とか、ラメを試しに小指に塗って「ステキでしょ」だの、ライトストーンを置いて「きれいでしょ」とか、まず試しに1本だけやって見せてくれるので、ちょっと購買欲も湧く。
 が、迷いつつラメ以外はお断りした。
 どう見ても、ライトストーンは余分だし。

 よ~く冷静に考えれば、
 ツメ磨きや栄養クリームは、日本では基本手入れになっているのよ!
 パックも組み込まれているんだから!
 それでたった2000~2500円だから、ワタシは一時、自分で自分のツメを手入れしないネイルサロン任せの時期があったのヨ。
 と言えるだけの中国語力を持ち合わせていなかったのが、残念デス・・・
 そして、同学がいなければ、彼女が何をワタシに勧めているのかが分かりませんでした・・・凹む・・・

by mingming8 | 2007-08-14 23:59 | 北京とワタシ

ペキン ノ タビ 5日目  

2007年 04月 18日

地铁2号线:北京站(北京駅)~地铁1号线:王府井
 →老舍纪念馆→
地铁1号线:王府井~地铁2号线:北京站(北京駅)
  表記参照ブログ

pick up 老舍纪念馆(老舎紀念館)@东城区灯市口西街丰富胡同19号(東城区灯市口西街豊富胡同19号)
 1月にも行ったのだけど、あの時は冬だったし、春の今、老舎の庭にも変化があるのだろうと思って行った。
 このときの北京は、朝晩は少し寒くて、不必要かと思いつつ持って行ったコーデュロイのJKが大変役に立ったが、日中は20度近くあって、風が弱い日はTシャツ半袖でOKだった。

 老舎の晩年の故居は、2本の木がある。柿の木だと聞いている。

 冬は裸だった木は、春になって少し緑の葉がついていた。

 中央を客間として使用していた部屋には、

 《迎奥运感悟老舍笔下的北京知识竞赛》の垂れ幕。

 そして、

 老舎にもこんな時間があったのだろうか。

by mingming8 | 2007-04-18 23:59 | 北京とワタシ

ペキン ノ タビ 4日目  

2007年 04月 17日

地铁2号线:北京站(北京駅)~地铁1号线:阜成门(阜成門)
 →鲁迅纪念馆→
地铁1号线: 阜成门(阜成門)~地铁1号线:积水潭(積水潭)
 →小杨家胡同:老舍出生的家(小楊家胡同:老舎の生家)→梅兰芳纪念馆(梅蘭芳紀念館)→郭沫若故居→什刹海公园(什刹海公園 しゅうせつはいこうえん)→
地铁1号线:鼓楼大街~地铁1号线:王府井
 王府井 *本屋
地铁1号线:王府井~地铁2号线:北京站(北京駅) 表記参照ブログ

 1月に行った魯迅紀念館は、改装中ということで、故居しか見学ができなかった。
 今回は改装も終わり、チケットのデザインも一新。

 そして故居は花盛り!

 ビックリしたのは、魯迅が亡くなるカウントダウンの展示。
 涙をソソルよいうよりも、ただただ展示形式に唖然・・・

pick up 老舍出生的家(老舎の生家)@小杨家胡同8号(小楊家胡同8号)
 このとき持っていた地図には道さえも載っていない小さな胡同は、本当に小さな小さな胡同で、本当に本当に注意して歩いていなければ、簡単に通り過ぎてしまう胡同。
 実際、用心深く歩いていたワタシでさえ2、3歩通り過ぎ、フト振り返って見たら、

 胡同を示すプレートが極々自然に何でもなく存在して、


 しかし、小さな車1台がようやく通れるか通れないかのこの胡同に、人がかろうじて普通にすれ違うことのできるこの胡同に、足を踏み入れていいものか悩んでしまったほどだった。

 小杨家胡同(小楊家胡同)は、1~12号の家しかない名前の通り小さな小さな胡同。老舎著『四世同堂』は、ここ小杨家胡同(小楊家胡同)がモデル舞台。
 老舎は上述の書で、舞台とした胡同を以下のように著している。

  西大街に通じるのはヒョウタンの口と首のところで、ごく細く長く、きたない。ヒョウタンの口はたしかに小さく、注意してさがすか郵便配達にきくしかしなければ、ほんとに見落としやすかった。(中略)数十歩あるくとからりと開け、君はヒョウタンの胸を見る。(中略)さらに進むと、また、小さな横丁―ヒョウタンの腰だ。「腰」を抜けると、また空地で、「胸」の二、三倍はあり、それがヒョウタンの「腹」になる。
(蘆田孝昭訳『老舎小説全集8 四世同堂(上)』p10~11)

 しかし、小杨家胡同(小楊家胡同)そのものには、胸か腹のどちらかしかない。
 う~ん、おかしい・・・と思っていたら、次の日行った老舎紀念館で分かった。
 「小」があれば「大」があるのであって、

 大杨家胡同(大楊家胡同)があるのだ。

 小杨家胡同(小楊家胡同)を歩くと、大杨家胡同(大楊家胡同)にぶつかる。
 小杨家胡同(小楊家胡同)に胸があり、大杨家胡同(大楊家胡同)に腹があるのだ。
 そっか・・・ワタシは腹を意識せず通りすぎてしまったようだ・・・

 『四世同堂』を読んだときに想像した地形とは、全く違っていた。想像以上に曲がりくねったところだった。
 ちなみに『四世同堂』の主となる家・チー家は、老舎の生家だ。

pick up 郭沫若故居@西城区什刹海前海西街18号
 以前にも書いたような気がするけど、ワタシの郭沫若感っていうのが、どうにも胡散臭いオトコで、どうしても好きになれない。
 二重結婚のこと、文革時期の態度、後の文革態度の撤回。
 ある意味、ものすごく人間臭いほど人間臭く生きたとも言えるし、きちんと勉強したら、そうした態度の理由も分かり、理解できるかもしれないが・・・
 いやしかし、ここ、20元もするのよ!
 ここが20元の価値ある場所だということは参観して分かる。

 だだっ広い庭園


 大きな故居

膨大な資料(だと思う)。
 しかし結局、国家と強い結びつきのあった人は、ご丁寧な紀念館を造って頂けるのね。
 しかも、


 こんな素敵な、これが北京かとビックリした什刹海公园(什刹海公園)の近くというのが、これまた許せない。

by mingming8 | 2007-04-17 23:59 | 北京とワタシ

ペキン ノ タビ 3日目  

2007年 04月 16日

955路巴士(バス) 东直门外街(東直門外街)~大山子
 大山子艺术区
955路巴士(バス) 大山子~东直门外街(東直門外街)
地铁1号线:东直门(東直門)~地铁2号线:北京站(北京駅)
 *とにもかくにも腰の痛みに耐えかね、ワタシのモットーに反してホテルでマッサージ。
 その後スーパーに行って、ビールやらおつまみやらいっぱい買い込んで、ホテルの部屋で宴会。

pick up 大山子艺术区(大山子芸術区)@朝阳区酒仙桥2~4号(朝陽区酒仙橋2~4号)
 ほとんどが月曜休みだったが、ショーウィンドーでも十分楽しめるし、人が少ないのでゆっくりのんびりできた。カフェもオシャレで居心地がよかったが、工房前の椅子を陣取って、観賞しつつテイクアウトを食べるもよし。

 ここは北京アートのちょいととがった部分の発表の場であり、欧米諸国における中国現代美術ブームの影響もあって、近年世界の注目を集めているエリア。旧国営工場の跡地をギャラリーにしているので、壁に残っている共産党のスローガンと現代アートで不思議な空間を作っている。

 ここではその辺の脇にも目を配らなければいけない。

 この奥にあるものは・・・・・


 何だか意味深・・・とっても気になる表情・・・

 鄧小平が・・・

 最も有名でこの地区のシンボル的存在なのは、「798时态空间(798時態空間)」。
 この日はイベントのため参観不可だったが、警備員と会話するふりをして、ちょっとだけ見ることができた。ちょっとだけね(笑)直視3秒ぐらい(笑)

 こんなふうに無理やり見ようとしなくても、

 あやしげな暗闇を入って行けば、
 (実際はあやしくもなんともなく、この先は看板どおりレストランです)


 うっすらと革命奮起文字があったりする。
 毛泽东思想是革命
(毛沢東思想は革命だ)
*「毛泽」部分は隠れて見えていない


 抓革命 促生产
 (革命に力を入れ、生産を押し進めよう)
 *文化大革命のスローガン

 ワタシには歴史的価値があるように感じるものでも、上から配管盤を設置したり、文字や絵を描けるんだ・・・過去の遺物?何でもない日常の1コマなの?

 歩いていて目に付くには、圧倒的に毛沢東と中山服、そして革命。



 最初はおもしろかったんだけど、最後はもう飽き飽きしてきた→毛沢東。
 外国人のための毛沢東というニオイがプンプンして。
 毛沢東以外で勝負、自己表現をして欲しいと思った。
 それとも、こうした芸術が中国らしさとか?でもそれはキットチガウ。

 もちろんそればっかりではなくて、こういうのもあって、

 中国の水色感というものが、知りたくなった


 これ観たかった・・・このギャラリーはお休みだった

 他にも素敵な風景写真やシュールな彫刻、様々なギャラリーがあって、ギャラリーをのぞくのがすごく楽しい。

 そして気になる星。

 こうした色とりどりの星が随所にあるのだけど、


 尻尾の意味は何だろう・・・

by mingming8 | 2007-04-16 23:59 | 北京とワタシ

ペキン ノ タビ 2日目  

2007年 04月 15日

地铁2号线:北京站(北京駅)~地铁2号线:长椿街(長椿街)
 →报国寺→宣南文化博物馆(宣南文化博物館)→康有为故居(康有為故居)
 →纪晓岚故居(紀暁嵐故居)→(前門~和平門周辺探索)
地铁2号线:和平门(和平門)~地铁1号线:西单
 北京图书大厦(北京図書大厦)*本屋
地铁1号线:西单~地铁2号线:北京站(北京駅)
 *腰の痛みに耐えかね、ホテルに戻ったのです(涙)
地铁2号线:北京站(北京駅)~地铁2号线:前门(前門)
 老舍茶馆(老舎茶館)  表記参照ブログ


 この日は、北京オリンピック(2008年8月8日開幕)まであと480日@老舎茶館。


pick up 宣南文化博物馆(宣南文化博物館)@宣武区长椿街9号(宣武区長椿街9号)

 2005年11月開館のこの博物館は、ネットで知った。
 参観して、想像していた以上に大変よかった。
 博物館の人も気持ちよい対応だった。
 そして、参観者をよい意味で野放し(笑)。

 中国語が分からなくても、展示物で十分理解できるし、楽しめるから、是非おすすめ。

ここは現在の「宣武」区の歴史や文化についての博物館でありながら、その名がナゼ「宣南」かと言えば、1553年に名づけられた地名に由来する。

 宣武区という地域には特色がある。
<その1>昔、科挙試験を受験するために、北京に来た挙士たちが宿泊するための多くの地方会館があったという場所。その数240。
<その2>そのため、宣南士人文化が明代に起こり、清朝において最も栄えた。
<その3>戊成の変法時期、様々な言論が起こるにしたがって、ここに多くの新聞社や雑誌社が急速に発展。その数369。
<その4>禁アヘンの動議が起こったのは、宣南地区であった。

 禁アヘンに尽くした龏自珍・魏源・林則徐・黄爵滋

 ワタシの中国語ではこの程度しか理解できなかったけど、中国が中華思想から諸外国へ目を向ける1歩の場所であったのは間違いない。この地域で喧々諤々中国の将来を討論したのだと思うと、ワタシも妙に熱くなって、この地域がすごく愛おしくなった。

 さらに、宣武区という地域がどういう場所であったかという説明の他に、庶民文化(食・商・遊など)や京劇誕生の経緯についても展示がある。

 春・・・<将>春意融融


 夏・・・<吃来吧>夏日清凉


 秋・・・<小玩艺>秋色光华


 冬・・・<过年嘍>冬雪丰年

 この博物館は参観無料。ただし、入り口が大変分かりづらい。宣武医院を大通り挟んで向かいの公園にある赤い壁が博物館で、入り口は東側。

pick up 康有为故居(康有為故居)@米市胡同43号
 米市胡同は、普通乗用車1台と片側に歩行者が余裕で通れる幅で、商店もあり人の往来も多い。ただし、その横に派生する北大吉巷は、ひっそりとした静かな通りだった。

 大学の授業で康有為の『大同書』「甲部・入世界観衆苦」を読んだとき、中国(当時は清朝)のみならず、世界を含めて、「民が本当の意味で幸せに暮らすには、どうしたらいいものか」という熱き想いに圧倒されたものだったが、ここ故居・南海会館に来て、その気持ちはますます強くなった。

 写真では分からないが、ここは公道から坂を少し下ったところを門とする。
 門から真正面には壁があり、公道は見えない。

 まるで秘密基地のような感じだった。中は中央に高い木がある。ここで康有為や挙士たちが、明日の中国や世界について議論を交わしていたのだと思うと、胸が熱くなった。日本の歴史に近づけば、坂本竜馬のような感じだろうか。
 ここは記念館でも何でもなく、現在は一般市民が暮らす。ただ「康有为故居」というプレートと、その簡単な説明プレートがあるのみ。一般市民の心中は如何に。中国語上達の暁には、是非とも聞きたい。ワタシには住めない。毎晩気分が高まって、眠れないだろうから(笑)

by mingming8 | 2007-04-15 23:59 | 北京とワタシ

ペキン ノ タビ 1日目  

2007年 04月 14日

地铁2号线:北京站(北京駅)~地铁2号线:东四十条(東四十条)
 →茅盾故居→
地铁2号线:安定门(安定門)~地铁2号线:建国门(建国門)
 →长安大剧院(長安大劇院)  表記参照ブログ

 胡同(フートン)散歩中に見つけた飲むヨーグルト(1.5元)。

 この瓶の蓋に描かれている牛の絵や文字は水色で、このテーブルが奇跡にも水色で、そのコントラストのオシャレさに引かれて買ったのだが、半分ほど飲んでものすご~くヤバイのではないかと思ってしまった。
 ここ、おもいっきり太陽にあたっているんだもの!
 でも「半分は飲んじゃったんだし、お腹下すだけなんだし(1)」と思い完飲。
 結局何ともなくて、その後胡同で見つけると、休憩がてら飲んでいた。
 常温ではなく、冷えているほうが絶対おいしいと思うが、どこも店先に置いてあるのみだった。

Pick up@长安大剧(長安大劇院)・话剧《沦陷》

 话剧《沦陷》・・・活劇『淪陥』(陥落・敵に占領される)

 ワタシはたった何日か訪れるだけの観光客にすぎないが、しかし、観光はしつつもできるだけそこで生活する人たちに紛れ込みたいと思っている。食事もしかり、見るものもしかり、聞くのもしかり、体験するものもしかり。
 ワタシが滞在中に京劇を見ることができるのは、8~9割を観光客が占めるところのみだったので、新劇を観ることにした。
 実際のところ、今回のような体験はそうそうできるものではないような気がする。

 1割程度の中国語しか聞き取れなかったが、パンフレットや場面状況から察するに、
 舞台は日本軍が侵攻する南京。赤十字社のアメリカ人とキリスト教を信教する中国人たちが、日本軍と中国軍の間に博愛と慈悲の精神を持って立つも、中国人による裏切りもあって、民間人が殺されていくことに、ただただなす術のないことに苦悶する。そうした経緯の中、中国人青年たちがどのように生きるべきかを見出そうとする。

 ワタシがこれを観たのは、《沦陷》の「沦」(淪)を「论」(論)と見間違えたため、内容に見当がつかず、「中国の新劇ってどういうものなんだろう~ルンルン♪」という「ルン」違い(2)を起こしたにすぎない。

 幕が上がってすぐに、ワタシはこの劇の状況が分かってしまい、ものすごくまずい状況にいるのではないかと焦ってしまった。つまり、こういう言い方はよくないかもしれないが、味方のいない敵地にたった1人乗り込んだようなものではないかと。ワタシは「劇の途中で退座するのは、ワタシが日本人だってことをばらすようなもんだワ。幕間休憩が来たら、休憩する振りをして帰ろう」と決めた。が、幕間休憩は無かった。

 幕間休憩がなくてよかった。興味深い体験ができた。
 最後の役者紹介のとき、日本軍を演じた中国人と中国人を裏切った中国人を演じた人への拍手は、その他を演じた人よりも圧倒的に少なかった。「誰が演じる」より「誰を演じる」かが重要なポイントなわけだ。役者そのものへの評価ではなく、描かれた人物そのものに評価が下るということなのだろうか。

 ワタシがすごく安心したのは、日本人兵士の殺戮に対する苦悩も描かれていたことだ。上官の横暴を止める勇気があった日本人兵士もいたこと、しかし軍の命令によってどうしようもできず手をこまねいていた兵士、これを南京市活劇団が描いたことに、ワタシは素直に喜びたい。あのとき、そういう日本人がいたことを信じたいから。そういう日本人がいたことを南京市活劇団は知っているのだと信じたいから。

(1)実際はお腹下すだけでは終わらないと思うが、ワタシは未知のものに出会うと、こんなふうに「たいしたことではない」と腹をくくる。

(2)「沦」(淪)、「论」(論)の中国語発音は、「沦」(淪):lun(ルン)2声、「论」(論):lun(ルン)4声。ワタシの「ルンルン」という気持ちを絡めて、全てが「ルン」違いという、自虐的ネタです(笑)

by mingming8 | 2007-04-14 23:59 | 北京とワタシ